弊社は2022年12月15日、創業80周年を迎えることができました。
地域の皆様に支えられ迎えた80周年。
その歴史の中には「人と人」が生み出す、いろいろなストーリーがありました。
80周年を記念し、和歌山トヨタの歴史・クルマの歴史・当時の出来事を
振り返ってみましょう。


history
1942~2023
絆でつないだ80年
1940~1949年代
(昭和15~24年)
1942年12月(昭和17年)
和歌山県自動車配給株式会社を資本金15万円にて設立。国産各社及び外国車の県下唯一の配給会社としてスタート。
和歌山県最古の
トヨタディーラーとして誕生。
1942年(昭和17年)、和歌山トヨタ自動車は国産・外国車を含めた和歌山県唯一の車の配給会社として誕生しました。そののち、昭和21年(1946年)にトヨタ自動車の販売会社に。

1943年9月(昭和18年)
和歌山県自動車整備配給株式会社と商号変更。県下全般の自動車及び、部分品の配給業務の他に自動車の整備を行なう。

1945年8月
(昭和20年)
太平洋戦争終結
1946年3月(昭和21年)
和歌山県自動車販売会社と改称。
1946年9月(昭和21年)
和歌山トヨタ販売株式会社と改称国産各社を分離、その内「トヨタ自動車」部門を継承しトヨタ自動車工業(株)の和歌山県特約販売会社となる。

1946年11月
(昭和21年)
日本国憲法公布
1948年10月(昭和23年)
現商号、和歌山トヨタ自動車株式会社に改称。


1949年12月
(昭和24年)
写真提供:大阪大学湯川記念室
1950~1959年代
(昭和25~34年)
1950年4月(昭和25年)
トヨタ自動車工業株式会社で販売部門分離独立。トヨタ自動車販売株式会社誕生、当社も同社の特約販売会社となる。
1951年8月(昭和26年)
BJ型トヨタジープを発売。
「ランドクルーザー」の原型



1953年2月
(昭和28年)
テレビ本放送開始
1955年1月(昭和30年)
「初代クラウン」を発売。
「初代クラウン」を発売。
1955年1月に発売した「クラウン」は、あらゆる意味において国産車のモータリゼーションの出発点であり、わが国の自動車業界へも大きな自信を与えた、エポックメイキングなモデルでした。デザインや機構は、当時のわが国の実情に適合するように開発したもので、乗り心地や耐久性など、すべてがバランスされた純国産車として話題を集め、裕福な個人オーナーや社用車、公用車、そしてタクシーに使われました。スタイリングをはじめアメリカ車の影響を受けつつも、サイズその他を日本の国情に合わせて最適化したクラウンは成功作となり、日本人の自動車観を決定づけました。初代クラウンは改良を重ねていきますが、特筆すべきは59年に国産初の自動変速機「トヨグライド」を設定したことです。当初は半自動式だったが、イージードライブ時代の到来を予測したトヨタの先見の明(めい)は、日本が世界一のAT大国となった後の歴史が証明しています。

キャッチコピー
軽快・堅牢なシャシー
広くて快適な車室


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1959年4月
(昭和34年)
明仁皇太子殿下
御成婚
1960~1969年代
(昭和35~44年)
1960年8月(昭和35年)
「ランドクルーザー (40系)」を発売。


1960年代
フォークソングが
大流行
「ランドクルーザー (40系)」を
発売。
1960年8月に発売。ランドクルーザー3代目で、通称「40系」。2ドアタイプのリアドアは観音開きで、人員の乗り降りや機材の積み下ろしにとても便利でした。そして4ドアタイプは上下開きであり、かさばる荷物の運搬に向いていました。信頼性の高いクロスカントリー車として海外でも高い評価を得ました。24年間にわたり世界中で愛用され、「40(ヨンマル、forty)」と呼ばれるようになりました。このモデルでランドクルーザーが世界中で大ヒットし、1965年に世界生産台数5万台を突破し、当時アメリカで最も売れた車がランクルでした。


1962年10月(昭和37年)
「2代目クラウン」を発売。

1964年10月
(昭和39年)
東海道新幹線開業


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1966年6月
(昭和41年)
ビートルズ来日
1967年9月(昭和42年)
「3代目クラウン」を発売。
「3代目クラウン」を発売。
1967年9月に発売。「日本の美」をテーマに、サイドにも曲面ガラスを採用したスタイルは、1966年に完成した “デザインドーム”から生まれた最初のものです。「白いクラウン」というキャッチコピーを掲げた広告キャンペーンによって、公用車や社用車を象徴する黒ではなく、自家用車に人気だった白が似合うことをアピールしました。ハードウエアに関しては、先代のX型フレームに代えてその後20年以上も使われることになるペリメーターフレームを採用。エンジンは先代の途中から加えられた直6 SOHC 2リッターが主力となった。また、この頃から話題になり始めた安全対策にもいち早く着目し、北米の安全基準をほぼ満たしたことも話題となった。68年にはパーソナル性をさらに高め、クラス初の2ドアハードトップを追加。ライバルとの差をさらに広げた。

キャッチコピー
白いクラウン
1970~1979年代
(昭和45~54年)

昭和40年代の
人手賑わう
「ぶらくり丁」商店街
写真:「和歌山木材協同組合
ホームページ」より
1970年12月(昭和45年)
「カリーナ」を発売。

「カリーナ」を発売。
英語で「竜骨座(りゅうこつざ)」という意味。1970年12月に発売。2ドアセダンと4ドアセダンのボディ形状がラインナップされセミファストバックスタイルのボデーに、丸形4灯式ヘッドランプをグリルの内外に分けたフロントマスクと、縦長のリヤコンビネーションランプが特徴でした。

キャッチコピー
足のいいやつ
1974年10月(昭和49年)
「5代目クラウン」を発売。

1971年9月(昭和46年)
黒潮国体(和歌山国体)
開催
写真:「ニュース和歌山が伝えた
半世紀」より


1972年12月
(昭和47年)
南海和歌山市駅ビル
完成
写真:「ニュース和歌山が伝えた
半世紀」より
1974年12月(昭和49年)
和歌山トヨタ県下で初のサービスセンターオープン。
1975年10月(昭和50年)
和歌山トヨタ 産業車両部門を分離、
100%出資会社和歌山トヨタフォークリフト(株)設立。


1979年8月(昭和54年)
箕島高校
甲子園春夏制覇
写真:「ニュース和歌山が伝えた
半世紀」より
1979年8月(昭和54年)
和歌山トヨタ 中古車販売拠点として、東マイカーセンター設立。
1980~1989年代
(昭和55~平成元年)

1980年代
携帯電話の登場。
最初の携帯電話は重さが900gも
あり、
持ち運びには不便でした。
1981年2月(昭和56年)
「ソアラ」を発売。
1982年7月(昭和57年)
和歌山トヨタ工販合併の結果トヨタ自動車株式会社の特約販売会社となる。(トヨタ自工、トヨタ自販合併)

「ソアラ」を発売。
1981年2月に発売、トヨタが初めて手掛けた高級パーソナルカー。前傾したセンターピラー、細いリヤピラーを特徴とする、ロングノーズ&ショートデッキの2ドアノッチバッククーペ。内装デザインにおいても一切の妥協を感じない作り。落ち着いた色調の内容で、レザー調のインパネなどハイソカーらしい高級な質感となっています。ステアリングを見てみるとソアラの象徴であるグリフォンのレリーフが刻まれ、デジタル表示のスピードメーターに発光ダイオード(LED)のタコメーターを組み合せたほか、デジタル式任意速度警報装置、マイコン制御式オートエアコンなど、自動車のエレクトロニクス化到来を象徴するモデルとなりました。第2回1981-1982日本カー・オブ・ザ・イヤーのイヤーカーに輝いたほか、純白に近いボディーカラー「スーパーホワイト」の流行や、ハイソカー(ハイソサイエティーカーの意)と呼ばれる高級車ブームの火付け役もこの初代ソアラだといわれている。

キャッチコピー
未体験ゾーンへ。

1982年4月(昭和57年)
五百円硬貨発行

1987年4月(昭和62年)
国鉄分割民営化JR
誕生へ

1989年1月(平成元年)
新元号「平成」へ
新元号「平成」を発表する当時の
内閣官房長官・
小渕恵三(1989年1月7日)
人事院ホームページより
1989年10月(平成元年)
「セルシオ」を発売。
1989年12月(平成元年)
和歌山トヨタ本社社屋、全面改築。
1990~1999年代
(平成2年~平成11年)
1990年5月(平成2年)
「エスティマ」を発売。

「エスティマ」を発売。
1990年5月に発売。新コンセプトのミニバンでフロア中央部下にエンジンを75度倒して搭載することによって、7人が快適に移動できる広い車室を持つと同時に、優れたハンドリングと走行安定性を実現しました。スタイリングのテーマは「卵形」で、エンジン搭載方法と合わせて広告宣伝では「天才タマゴ」のコピーが話題になりました。インテリアは大きくラウンドした質感の高いインパネは中央上部に空調・オーディオを集約し、デザインと機能性を併せ持っています。2、2、3のシート配列で、各シートとも余裕が感じられる。フラットな床が今までにないほどの、快適さをもたらしています。



1993年6月(平成5年)
徳仁皇太子殿下御成婚
皇太子徳仁親王(現天皇陛下)と
皇太子妃雅子(現皇后陛下)の
結婚式の様子
1993年(平成5年)
6月9日
在ムンバイ日本国総領事館より


1994年7月(平成6年)
「世界リゾート博」開催
写真:「ニュース和歌山が伝えた
半世紀」より

1995年1月(平成7年)
阪神・淡路大震災
灘区国道43号線岩屋交差点周辺
(1995年1月17日)
写真提供:神戸市


1997年2月(平成9年)
長野オリンピック開催
1997年12月(平成9年)
「初代プリウス」を発売。

「初代プリウス」を発売。
1997年12月に発売。ハイブリッドシステムを採用した世界初の量産車。発売当初のキャッチコピーは「21世紀に間に合いました」と、まさに化石燃料依存から脱しようとする21世紀のクルマ像の先駆けとなりました。10・15モード燃費は、当時としては驚異の28.0km/Lを達成している。CO2を半減するとともに、排出ガスに含まれるCO(一酸化炭素)やHC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)も規制値の10分の1レベルまで減らした。

2000~2023年代
(平成12年~令和5年)
2005年8月(平成17年)
レクサス紀三井寺新設オープン。


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2011年3月(平成23年)
東日本大震災

2012年1月(平成24年)
「初代プリウスPHV」を発売。

2013年8月
(平成25年)
和歌山トヨタ
KIZUNAマガジン
創刊。


2014年2月(平成26年)
和歌山トヨタ田辺店
移転新築オープン



2014年12月
(平成26年)
「初代MIRAI」を
発売。

2015年12月(平成27年)
-
フォルクスワーゲン
和歌山中央
移転新築オープン。 -
U-Carプラザ
和歌山インター新設オープン。


2019年5月(令和元年)
新元号「令和」へ
記者会見で新元号『令和』を発表する
菅義偉内閣官房長官
首相官邸ホームページより
2020年5月(令和2年)
トヨタ車全車種取扱い開始。


2020年12月(令和2年)
「C+pod」を発売。
小さいから、頼もしい。身近な移動に、超小型という選択肢。ラゲージは見た目以上に広く、普段使いからビジネスまで様々な用途で活躍。また、助手席オープントレイやカップホルダーなど、便利な収納スペースも備えています。大開口のドア、段差のない乗り込み口、乗り降りしやすいシートの高さなど、 室内へのアクセスを容易にする様々な工夫を取り入れ、小さなボディと乗り降りのしやすさを両立。さらに、コンパクトな全幅には大人2人が並んで座れるスペースを実現。


2021年12月(令和3年)
和歌山
トヨタKIZUNA PARKオープン。


2022年5月(令和4年)
「bZ4X」を発売。
クルマの技術は、日々進歩している。では、地球も明るい未来へと進歩しているだろうか。人類にとっての故郷、地球。このホームプラネットの美しさを大切にし次世代に継承していくことこそ 本当の意味での「進歩」であると私たちトヨタは考えます。2050年のカーボンニュートラル実現に向けて開発を続けてきた HEV、PHEV 、FCEV。そして今、新たなBEVシリーズとして「 TOYOTA bZ 」が走り出します。bZの名に込めた想いは「Beyond Zero」。CO2の排出量ゼロを超えた価値を届けるために乗る人全員が楽しい時間や空間を 共有できるクルマを叶えていきます。ただの移動手段ではない 人と地球に寄り添うパートナーとして。美しい未来に向けた、新たなスタートラインです。

2022年10月(令和4年)
「16代目クラウン」を発売。
2022年11月(令和4年)
新型「プリウス」を世界初公開。



2023年2月末(令和5年)
ロケット「カイロス」打ち上げ予定。日本初の民間ロケット射場「スペースポート紀伊」(串本町・那智勝浦町)から、記念すべき第1号のロケット「カイロス」が打ち上がります。
写真提供:スペースワン社
100年に1度の大変革期を迎えた
2020年代。
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これからも
和歌山トヨタは、
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皆様との“絆”をつないで歩んでいきます。
和歌山トヨタは、

